2018/11/18(日) 16:06:24






ボクは、独りだった。
今日この日が来るまでは。
何故そうなのかも理解っていたし、それを善しとしていた。
その時、彼に出逢うまでは。


  2018/11/18(日) 16:06:56

『ほら見て、二宮のやつまた一人で窓の外見てる』

『タソガレルってヤツ?かっこいいとでも思ってんの?』

『意味ワカンねー』

教室の対岸から、敢えて此方に辛うじて聞こえるかどうかという程度の話し声が届く。
いつものことだ。
興味も無い。その声も何処か靄がかっているようにすら聞こえる。
気にかける程の価値も無い、戯言。
それに、異端であるのはボクの方なのだから。

『またあんなこと言って……二宮さん、気にしないでいいからね!』

隣から、義憤の声が届く。
それもまた、ボクにとっては大した価値を持たなかった。
彼女はボクではなく、二宮飛鳥と言う名の勝手な偶像に憧れているのだから。


  2018/11/18(日) 16:07:25

後ろ指を指し嘲笑う者。
謎の崇拝を眼差す者。
無関心を貫く者。

この部屋にいる者の態度は様々で、一様だ。

誰もが遠巻きにボク──否、ボクを象る事象の地平を眺めている。
誰一人として、ボク自身を見ることもなく。
ボクもまた、そうであること望んでいる。
今更、此処に何かを求める心算(つもり)も無い。

ボクは独りだった。


  2018/11/18(日) 16:07:56

「もしこれが戯曲なら、なんてひどいストーリーだろう」

チャイムと共に用の無くなった顔の亡いショーウィンドウを一番に抜け出して、足早に小高い丘の上にひっそりと拓かれた馴染みの公園へ向かい、ジャングルジムの頂に座す。
此処からは木々の向こうに遠く街並みが広がっているのが一望できる。
嗚呼、正に御山の大将と言ったところか。
口許に自嘲的な笑みが歪んだ。

「進むことも戻ることもできずに、ただひとり舞台に立っているだけなのだから」

徒らに口遊みながら、麓の自販機で買った缶のプルタブを起こす。
日はとうに暮れているが、時刻はまだ17時を回った辺り。
学校ではまだ、部活動に勤しむ生徒達が笑いあっている頃だろう。
真冬の冷たい風が吹き抜ける。
いつもの黒々とした珈琲は、いつものように、いつもよりも苦々しく思えた。


  2018/11/18(日) 16:08:23

独りであることを選んだのは、いつのことだったか。
ボクの根源にあったものは他でもなく、恐怖だった。

『気付いてしまった』
それが全ての始まり。

『誰も気付いていない』
それこそがボクにとって最大の恐怖。

誰もが同じように笑い、泣き、学び、育っていく。
育てられていく。
大量生産される人形のように。
それに誰も気付かない。
本来の顔を削ぎ落とされて、皆同じマネキンの顔を貼り付けられて、それで尚笑っている。
初めからクラウンとして貌作られているのだから、当然なのだろう。
だがボクにはそれが堪らなく恐ろしくて、耐え切れなかった。


  2018/11/18(日) 16:08:42

ボクは、臆病だ。
ボクは、脆弱だ。
痛いほどに、それを理解していた。
故にこそ、この身を鎧う事を選んだのだ。

束縛を模した衣装は鎧。
色鮮やかなエクステは兜。
ならば、この言葉こそが握り締めた剣。
顔を塗り潰されぬように仮面を被り、線の彼岸から此岸を睨む。
叛逆と抵抗を大義に掲げ、無意味に敵へと突き進むドン・キホーテ。

或いは遠巻きに彼らを眺めているのはボクの方なのだろう。
己の素顔すら、もう忘れてしまったというのに。


  2018/11/18(日) 16:09:19

「……駄目だな、今日はどうにも悲観が過ぎる」

口笛を吹いてみた。
流行りの曲は、よく覚えていなかった。

今のボクは所詮学校帰りの一中学生。
鎧も無く、兜も無く、空虚に剣のみがボクの心を掠めていく。
辺獄を征くには、軽装備に過ぎるだろう。
漏れ出た溜息は白く、星の無い曇天へと吸い込まれて消えた。
雲の向こうには、朧月が慎ましやかにその存在を主張していた。
象徴的だった。

「我が身を差し出せる大願に出逢ってみたいものだね」

歌詞の続きを浮かべながら呟く。


  2018/11/18(日) 16:09:45

すっかり冷めてしまった缶珈琲の残りを喉に放り込んで、今一度眼下を眺めると、街の家々にはもう暖かな光が灯っていた。
それが何故だか妙に薄ら寒く感じてしまって、そんな捻くれた自分に苦笑する。

「……ボクは、此処でいい。此処でいいんだ」

ふと見遣ると公園の隅では、誘蛾灯に吸い寄せられた虫達が墜ちていた。

「素晴らしい隠喩だな」

無感動に捨てる言葉。
誰に言った訳でもない。
敢えて言うのであれば、こんなボクを創り給うた悪趣味な"神"にだろうか。

少なくとも、ボクはそう考えていた。
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10   2018/11/18(日) 16:10:14

『危ないじゃないか、こんな時間に女の子が一人でいたら』


──誰もいないはずの足元から、若い男性の声が掛けられるまでは。


11   2018/11/18(日) 16:10:36

「……驚いたな、此処に来る物好きなんてボクくらいのものだと思っていたのだが」

『確かに何も無いな。こんなところで何をしているんだ?』

「強いて言うのであれば、何もしないをしていたかな」

『とてもそんな顔には見えないけどな』

「どうやら人間観察に自信があると見える」

『それはどうも』

当然のように対話を始めてきた男。
飛び抜けて背が高い訳でも無く、筋骨隆々でもなく、太ってもおらず、痩せてもいない、どこか冴えない顔をした、何処にでもいそうなスーツ姿。
それなのに、不思議な程の存在感を持って其処に立っていた。


12   2018/11/18(日) 16:11:03

「それで、そんな何も無いところに大の大人が何の用かな」

『君に逢いに』

「必要なのは通報かい?」

『遠慮してもらえると助かるな。職業柄とはいえこれ以上警察の知り合いを増やしたくはない』

「おや、人間だったのか。突然現れたものだから、悪魔の類かと思っていたよ」

『悪魔を通報しても意味はないんじゃないか?』

「それもそうだね」

ジャングルジムの上から地面へと飛び降りる。
幼い頃は恐ろしく感じた高さも、もうなんでも無くなってしまっていた。
真正面から、彼を観察する。
少なくとも、狂気に呑まれてはいないようだ。



13   2018/11/18(日) 16:11:27

『けど……そうだな、悪魔と言えば悪魔かもしれない』

「へぇ?」

『君に契約を提示したい』

「面白い、聞かせてくれ」

『アイドルにならないか?』

「…………は?」

様々な想定をしていたが、彼の一言で全て吹き飛ばされてしまい、絶句した。

『俺はこういうものだ。君をスカウトしたい』

そう言って、慣れた手つきでスーツの裏ポケットからケースを取り出し、名刺を一枚ボクに寄越した。
書かれていたのはボクでも聞いたことのあるような大手アイドルプロダクションの名前。


14   2018/11/18(日) 16:11:54

「……済まないが、詐欺の類なら他を当たってくれ。もっと御し易い連中がいるだろう」

『残念ながら俺は本気だ。信じてもらうには……そうだな、今から言う言葉を検索してもらえるか』

彼が口にしたのは聞き覚えのある、とあるアイドルのライブ。
ボクがスマートフォンで検索を掛け、最初に出てきたサイトを開くと、彼の指示に従って進んでいく。
そこには企画者やスポンサーの名前が連なっており、その中に名刺に書かれたそれと同じものが並べられていた。

「……成る程ね。まぁ、この場では偽りではないとしておこうか」

『ありがたい』

「だがそれでもだ。必然性が無い。ボクのような逸れ者をスカウトするなんて、合理的じゃないだろう。何故ボクなんだ」

ボクは珍しく、男の目を睨みつけるように見据えて言った。


15   2018/11/18(日) 16:12:33

男は、目を逸らさなかった。

『歌が聞こえた』

そして、そう即答した。
ボクは再び、言葉を失うことになる。

「もう少し、判り易くしてもらえるかな」

『新しいアイドル候補を探してこいと言われていたんだ。だけどどうにも閃かない。そんな時、何処かから歌が聞こえてきた。それを追った。そしてここに辿り着いて、そこには君がいた』

「だからボクをスカウトすると?寝不足ならば一度自宅へ帰って休むことをオススメするよ」

『手厳しいな。なら俺は一つの問いで返そう…………"何故君は、此処にいる"?』

「意図が理解らないな。此処はボクの隠れ家のようなものだから、今更理由なんて必要無いだろう」

『そうじゃない』

「ならば何だと言うんだ」

『君は何故、光を離れ独りで有る』

「……今会ったばかりのキミに何が理解る」

『理解したわけじゃない、推測しただけだよ。君も言ったじゃないか。人間観察にはそれなりに自信があるんだ。君の目には、憧憬と、諦念と、懐疑が見えた。だが君は此処に留まることに甘んじている』

「何で、そんなこと──」


16   2018/11/18(日) 16:12:53

「君にはまだ『顔』がある。だから君なんだ」
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17   2018/11/18(日) 16:13:31

「…………‼︎」

何かが砕ける音がした。
唇を噛み締め背けていた顔が、反射的に彼の方へと吸い寄せられる。
彼の目から射られた矢は、全てを見透かすようにしてボクを貫いていた。

「陳腐に聞こえるかもしれない。だけど君じゃなければダメなんだ。それに君のような人間は希少だ。ここで腐らせておくには惜しい」

「……とんだ、エゴイストだな」

「だから言っただろう?悪魔というのも強ち間違いじゃないなって」

「違いない」

「悪い話ではないと思うけどね。退屈、なんだろう?」

「何処までも理解ったような口を利く男だな」

「君は俺と同じ匂いがするから」


18   2018/11/18(日) 16:14:12

「随分と買い被られたものだ。単なる田舎の中学二年生だぞ」

「君には素質がある。線の向こう側から世界を俯瞰する才能。全てを疑い、覆す、哲学者の萌芽。単なる『中二病』で終わらせるより、昇華してしまう方が面白いと思わないか」

「キミならばそれが出来ると?」

「違うな。俺と君なら、だ」

「歯の浮くような台詞を」

「俺は本気だ」

「理解っているさ」

「答えは」

「その前に一つだけ、聞かせて欲しい」

「一つと言わず幾つでも」

「その世界は、ボクがボクのまま生きられるのかい」

「それは君次第だ。だが、不可能ではないさ。少なくとも、このまま『普通』に生きていくよりは」

「……そうか」

「受けてくれるか?」

「……いいだろう、どうせ一度きりの人生だ。悪魔に魂を売るのも悪くない」

「契約、成立だな」

顔を見合わせ、笑う。
八重の雲裏に隠れてしまった月の代わりに、酷く似通った二つの三日月が地上に浮いた。


19   2018/11/18(日) 16:14:35

その後、彼から正式な資料と書類を受け取り、鞄にしまい込んだ。
ボクが自分から何かをしたいと言い出すのは初めてだ。
それも、アイドルなどと。
父も母も驚きのあまり気を失ってしまうかもしれないな、などと想像すると、不思議と愉快だった。

一人で来た道を、二人で戻る。
こんなことは初めてで、妙に擽ったかった。


20   2018/11/18(日) 16:15:29

「そうだ、一つアドバイスをしておこう」

折角だ、と麓の自販機で缶珈琲を買ってくれたプロデューサーが、手渡しながら思い出したと言わんばかりに呟いた。

「芸能界は甘くない。ブラックのコーヒーよりも」

「想像に難くないね」

「きっと君が思っている以上に、だ。だから、アドバイス」

「ほう?」

「君がその哲学的な生き方を貫きたいと思うのならば、食らえ。全部だ。甘いものも苦いものも、出会った全てのものを捕食し、咀嚼し、解釈するといい。君はこれからもきっと、考えることを強いられる。だから君が君で有り続ける為には、常に変わり続けることに肯定的であらねばならない」

「無知の知、かな」

「遠からず。世界から一歩引いて見ることが出来る君なら、出来るはずだ」

「覚えておこう。それにしても、いつまでもキミと君で呼び合うのも他人行儀だな」


21   2018/11/18(日) 16:15:50

「それもそうだ。だけど、俺は君の名前を聞くのを忘れていた」

「ボクもだ。キミの言う通り、ボクたちは似ているのかも知らないね…………ボクは、飛鳥。二宮飛鳥だ。これから宜しく頼むよ、プロデューサー」

「こちらこそ、飛鳥」

何方からとも無く、乾杯する。
始まりを告げる鐘としては豪奢さに欠ける、スチール缶のチープな金属音。
それでも確かにこの瞬間、ボクの新しいステージが、その幕を開ける音がした。


22   2018/11/18(日) 16:16:07

風車の巨人を斃すべく、愚かなボクは歩み出す。
その道行には何が待つのだろうか。
ボクはまだ、何も知らない。


引用元:http://wktk.open2ch.net/test/read.cgi/aimasu/1542524740/