2019/01/08(火) 21:01:21

「――あら、ほたるちゃん。私、56分後にこの世界から消えてしまうんですって」

 藍子さんが不意にそんなことを呟いたのはフェリーの船室、夜明け前のころでした。

 私と藍子さん、二人での地方ロケからの帰路の手段として、Pさんはカーフェリーを選択したのです。

 Pさん自身は3等船室、私たちは二人部屋。

 悪いとは思ったのだけど滅多に無い船の旅に二人ではしゃいでしまって、沢山お喋りして。

 そしてぐっすり寝て起きて――まだ、夜明け前。

 眠った時間が同じだからか、起きる時間も同じでした。

 船はまだ入港前、Pさんはまだ眠っているでしょう。

 船の施設も自販機ぐらいしか動いていないはずです。

 時間をもてあまして二人で身支度したり、他愛の無い話をしたり――
 
 藍子さんの呟きは、そんなときに出てきたものでした。
 


  2019/01/08(火) 21:03:43

 ショッキングな言葉に目をまん丸にしていると、藍子さんはああ、と笑ってスマホの画面を見せてくれました。

『#あなたがこの世界から消えるまで』

「診断、診断ってやつですよ」

 SNSにある他愛もない遊び。

 自分の名前を入れるとランダムで結果の出てくる占いみたいな遊びのことは、私も知っていました。

 スマホの画面には『56分後、この世界から消えます。さらさらと砂のように』とあります。

 それが藍子さんの診断結果なのでしょう。

「――あまり、良くない遊びだと思います」

 眉を下げて、言いました。

 口調が少し、咎めるようになっていたかもしれません。

 だって、遊びだとしても、冗談だとしても、そんな結果は――


  2019/01/08(火) 21:04:16

「ふふ、ごめんなさい。少し、気になってしまって」

 藍子さんはぱっと画面を消しました。

「『死ぬ』とか『寿命』じゃなくて、『消える』――って言うのが。なんだか少し、気になってしまって」

 消える。

 この世界から消える。

 私たちにとって、それは死とは別の意味があります。

 アイドルは不安定なお仕事です。

 昨日まで人気だったアイドルが凋落すること。

 様々な理由でこの世界を去ってしまうこと。

 そんなことは珍しくありません。

 それぞれの人がいなくなるには、それぞれの理由があります。

 だけど、画面の向こうの人から見れば、結果は同じ。

 画面から消える。

 そしてもう、出てこない。
 


  2019/01/08(火) 21:04:35

 
 大半の、個々の芸能人に興味のない視聴者からすれば、それは消滅と同義です。

 興味は次に画面に映るものに移り、画面に映らないものはもはや省みられず、忘却され――

 その人の中から、消える。

 消えるというのは、そういうことです。

 『あなたがこの世界から消えるまで』。

 そんな文章を見たとき、藍子さんもそんなことを考えたのでしょうか。

「……冗談でも、藍子さんが『消える』なんて嫌です」

 時には助けられ、時には他愛ない話をして、同じ世界で頑張っていく。

 そんな仲間があるとき、ふと消えてしまう。

 そんなのはあたり前にあることだと解っていたけど――

 それでもやっぱり、そんなことは想像もしたくなかった。

 そして、藍子さんにそんなことを考えたり、思い悩んだりしてほしくは、なかったのです。


  2019/01/08(火) 21:05:03

「ごめんね」

 私がよほど不景気な顔をしていたのでしょう。

 藍子さんは困ったような顔でそっと私の頭を撫でて、それからふと天井を仰ぎました。

「でも、56分かあ――あっ、夜明けを見に行く時間はありますね」

「えっ?」

 突然ぽんと話が飛んだような気がして、私の目がまたまんまるになりました。

「見に行きましょう、夜明け」

 藍子さんが、笑いました。


      
    ★☆☆


  2019/01/08(火) 21:05:29

「わっ……!」

 見晴らしのよい上部デッキは、すごい風でした。

 まだ海の上は暗くて、ぼんやりと東の方が明るいぐらい。

「夜明け、見られそうですね。よかった!」

 風に負けないように、藍子さんの声は少し張るみたいでした。

 たしかに夜明けまで時間はさしてないでしょう。

 56分後に藍子さんが消えるとしたって、間に合うでしょう。

 だけど――

「あの、藍子さん、突然どうして?」

「――あれは、ただの遊びでしたけどね」

 藍子さんはほの明るい東の空を見て、言いました。

「もし本当に最後なら、二人で綺麗なものが見たいなあ、って」

「藍子さん、そんな」

 まるで本当に消えるみたいに、と咎めようとした私の言葉を、藍子さんは無言の笑顔で遮りました。


  2019/01/08(火) 21:05:51

「いつ来るか解らないものを、見ないふりをするより。『それ』がいつ来たって、後悔しないようにしたいなって思ったんです」

「――」

「だから今がもしそうなら――ほたるちゃんと夜明けが見られたら嬉しいって思ったんですよ」 

 いつ『消える』としても、悔いが無いように。

 今が最後でも、その瞬間を大事に。

 藍子さんの言うことは、きっとそういうことなのでしょう。

「――ほら、日が昇りますよ」

 私の方を向いて、藍子さんが微笑みました。

 その背後で水平線に朝日が顔を出して、淡い色の髪が金色に透けました。

 まるで、強い風と光の中に、透けて消えてしまうみたいでした。
 
 『56分後、この世界から消えます。さらさらと砂のように』

 診断の文章を思い出します。

 今藍子さんがさらさらと崩れたら、風に乗って世界中にちらばってしまうのではないでしょうか。

 そんな非現実的なことを考えてしまうのは、藍子さんの笑顔があまりにも綺麗だったからです。 


  2019/01/08(火) 21:06:14

「――もし藍子さんが砂になって消えても、私、絶対全部探し出しますから」

「頼もしいです」

「消えたって、離さないですから」

 ある日画面の前から私たちは消えるかもしれない。

 画面の前の人たちには、私たちは居ないと同じになるかもしれない。

 だけど――大事な友達なら、それで離れてやる道理はないんです。
 
 ある日どちらかが『消えて』も。

 大事に思うなら繋がっていればいい。

 繋がっているために、頑張ればいい。

 私は手を伸ばして、藍子さんの手を握りました。

 二人で並んで、登ってくる朝日を見詰めます。

 まばゆい朝日は、全てをまぶしく消し去ってゆくみたいでした――。


(おしまい)
 
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引用元:http://wktk.open2ch.net/test/read.cgi/aimasu/1546948881/